多情で移り気だが、無慈悲なことができないこと /
仏教用語【多情仏心】
夢の記憶がまったくないように
死んだら人は生きていたときのすべてを
こんな風に忘れ果ててしまうのだろうか・・
それではあまりに悲しすぎるのではないか・・?
と思うと同時に、それは幸せなことなのだと気付いた。
それでこそ生を謳歌できるというものなのだろう。
死んだら人は生きていたときのすべてを
こんな風に忘れ果ててしまうのだろうか・・
それではあまりに悲しすぎるのではないか・・?
と思うと同時に、それは幸せなことなのだと気付いた。
それでこそ生を謳歌できるというものなのだろう。
夕べ深夜わたしは泣いていたらしい。
朝起きて、そう言われた。
何を泣いていたのかどんな夢を見ていたのか
全く覚えていないし、悲しいという記憶もさっぱりない。
泣くだなんて瑞々しい感性まだどこかに眠っていたのか?
何が悲しかったんだろうね・・
もどかしい、ストレートに言えなくて
光に透けて咲く柔らかな花びらのように
心も透けて見えたらいいのに・・
見たいのではなくて、見て欲しいと思うから・・
男女に限らず、大好きな人に認められて愛されること
大好きな人を敬い愛すること、
相手と交わす言葉、弾む気持ちのやりとりやなんか、
その一切合財全部!そいいう楽しさに尽きる気がするなぁ・・
大事に思うもの、大切にしたいものがあることは幸せだし
大事に思われること、大切にしてもらうことは
言い尽くせないほど幸せなんだと思う。
無分別でいられる時は短くて・・
人は少しずつ分別というベールを身に纏う
戻れないあの頃
そうか!短いからあんなに楽しかったんだ・・
無分別で居られたころ・・そうか、そうだったんだなぁ・・
人は少しずつ分別というベールを身に纏う
戻れないあの頃
そうか!短いからあんなに楽しかったんだ・・
無分別で居られたころ・・そうか、そうだったんだなぁ・・